白い薔薇が咲く場所

都内在住大学生文月によるブログです。主に小説、思ったことなどを書きます。

日本人とインターネットと攻撃性

最近教団Xという小説を読んだ。

 

教団X (集英社文庫)

教団X (集英社文庫)

 

 ものすごく面白かったし、アマゾンのレビューで低評価をしている奴はどんな×××××××なのかとすら思った。

要約すると二人の教祖と三つの宗教の話なのだが、この小説の中に

日本人はインターネットで不満を吐き出すから、政府がいくら理不尽なことをしていても暴動になることはまずない

 というセリフがある。これは言いえて妙だなと思った。

日本人の秘めたる攻撃性

我々日本人の一般的なセルフイメージは「慎み深く臆病で、礼儀正しい」というものであろう。

だが、私は違うと思う。

「日本人は本来攻撃的な性分で、それを自分たちで律しているからこそ礼儀正しく見える」というのが正解なのではないかというのが私の個人的見解だ。

歴史をひも解いてみれば、この狭い島国で飽きることなく殺し合いをし続けてきたし、お侍様に切り捨て御免なんていう事実上の殺人を許可する法令を出し、何かあれば切腹打ち首というなかなか血生臭い民族というのがわかるはずだ。

第二次世界大戦においても「神風特攻」という捨て身の攻撃をしてみせたし、歴史の中で日本を真っ向から敗北させたのは歴史上アメリカしかないのだ。我々が思っているほど日本人は大人しくない。

しかし、日本人はこの島国の中で互いに律しあい、なんとか平和に生きてきた。

「和を以て貴しとなす」との言葉通り、お互いが平和に生きていく上では自分の気持ちをある程度セーブするというのが生きていくうえで必要だったのだろう。

しかし、技術の進歩に伴い我々にインターネットが普及した。

するとどうなったか。日本人の元来の性分である攻撃的な性格と、自分の気持ちを表したいという欲求が解放されてしまったのだ。

今の日本のインターネットを見れば解るとおり、特定の個人、政治、性別、社会、主義主張等々さまざまなものにたいしての悪口であふれかえっている。

彼らは何かに対しての攻撃が自分自身の人生への不満の裏返しであることに気が付いていない。

 これも教団Xに出てきたセリフである。

 

幸せになるには

ぼくは教団Xに出てくる松尾正太郎でもなければ沢渡でもないため、絶対的な「幸せになる方法」を提示することはできない。

しかし、この21年間という短い人生の中で学んだ教訓「誰かを攻撃する奴はみんな不幸になる」、これだけは自信をもって人に言える確かなことである。

誰かを攻撃している人間は、それを止めることで少しだけ幸せになれるはずだ。

僕は自己啓発系の本は読まないし、特定の宗教も信仰していない。

だから僕みたいな人間は結局、自分で経験して納得したことでしか実践できな生き物なのだ。

願わくばこの記事が、誰かの人生を少しでも良くできますように。