白い薔薇が咲く場所

都内在住大学生文月によるブログです。主に小説、思ったことなどを書きます。

承認欲求とSNSとブログ

突然ですが、僕は「自分を誰かに知ってもらおうと必死になっているネット上のアカウント」が苦手です。

正確には、いわゆる「絵師」と呼ばれている人たちや、リストカットの画像を載せている人、際どい画像を乗っけてRTを稼いでいる人、コスプレ画像を挙げている人等、自分からその存在を知ってもらおうとしている人たちが苦手です。

じゃあなんでお前ブログなんてやってんの?」という突込みが聞こえてきそうですが、はっきり言ってこのブログ、誰かに見てもらおうとかそういう意図のもとで書いているのではありません。

ただ、ブログを書くという行為は生産的であり、続けていくにはいい趣味であるということをヨッピーさんがおっしゃっていたため、書いているに過ぎません。

 

クリエイターとジレンマ

ミュージシャンや作家、漫画家などのクリエイターに共通する悩みに、「自分がつくりたいものと世間でヒットするものとの差」があります。

自分がいいと思ったものが売れず、逆に売れ線や世間が自分にたいして持っているイメージそのままの作品を出したらヒットしたという、大御所ミュージシャンや前作がヒットした漫画家にありがちなアレです。

 

僕個人としてはそういう「誰かに認めてほしいがための作品」ただそれだけの作品には微塵も魅力を感じられません。

そういう作品やそういうことをしている人たちは作品にたいして不誠実だと思うし、それがただ一つの発信方法というのは酷く悲しいもののように思えるのです。

だから僕はSNS上でうわべだけの発信をしている人たちを厭い、誰かに見てほしいだけの作品を作る人たちが苦手なのです。

 

結論

なので僕はこのブログを「あわよくば誰かの目に留まって就職先を決める一つのきっかけになればいいな」というスタンスで書いています。

 

このブログを見てムカついたらすいません。

 

作詞 その壱 ブラックコーヒー


苦いコーヒー 少しだけ大人の味
あなたと夜明けを眺めた時も こんな味してたかしら……
黒い液体 私の喉を流れ落ちて
そしてゆっくり 私の中に沈んでいく
大人の味を教えてくれて 無責任に去ってしまった
あなたは今、何をしているのかしら……

リンゴジュース 何だか子供の味
飲んでいれば 少しだけあの頃に戻れる
カラオケボックスの匂い あの人の香水
何だかずいぶん昔のことみたいね……
あれから少しだけ時間が過ぎて ちょっとだけシワが増えて
それでもまだ、あなたのことを許せません。

 

孤高と孤立の違い

こんにちは、文月です。

みなさん、学校に友達はいますか?

僕にはいません。

ぼっちになっている原因は巷にありふれているよくある理由のため、ここでは割愛します。

 

独りでいるなら強くあれ

僕は現在ほぼ友達がいない状況、いわゆるぼっちなのですが、ぼっちでいるために自分に課しているルールがあります。

 

①服装には気をつける

これです。

僕はぼっちならばせめて服装に気をつけるべきだと思っています。

 

ぼっち、または俗に言う陰キャラ(教室に一人はいる暗くて友達のいないやつ)にありがちなのが「私服の垢抜けなさ、ダサさ」にあると僕は思うのです。

例えば、

こう言う運動靴を履いていたり

こう言う柄のチェックシャツを来ていたり、いわゆるオタクっぽい・中学生っぽい服を来ている場合が多いです。

誤解は生まれぬよう言っておきたいのですが、僕はこう言う人たちを避難したいわけではありません

僕もこんな感じの服を着ていました。

しかし孤独ではなく孤高で痛いなら、少なくともこう言う服装はやめましょう。

服だけでぼっちのレッテルなんか貼られたらたまったもんじゃないですからね。

ファッションに興味がない人は全身ライトオンで固めましょうユニクロやGUと違いそれっぽく見えるのでおすすめです!

 

②せめてデブにはなるな!

細マッチョになれと言っているのではありません。

しかし、せめてLサイズの服が入らないレベルにはならないようにしましょう。

見苦しいぼっちより筋トレやランニングをして清潔感のあるぼっちになるべきだと僕は思っています。

 

③悲惨さを出すな!

上記二つが守れなくてもこれは絶対に守りたいところです。

僕は大学内で同業者〈ぼっち〉をよく見かけるのですが、気分が沈みまくってる奴を見かけると、「もっと堂々としようぜ……」と声をかけたくなってしまいます。(コミュ障なので実際にはできませんが。)

僕らは一人であるということ、いわば現代社会が是としている人の在り方から若干ずれてしまった、そんな性質を持つ人間なのです。

 

ならばせめて、堂々としていましょうよ。

一日中誰とも喋らなくても、自分のことを誰かが笑っているような妄想に陥っても、胸を張って、さ。

胸を張り、堂々とぼっちでいるその瞬間、僕らは紛れもなく孤高な存在になれるのです。

現代社会におけるぼっちの扱いについて

僕は、ぼっちとは即ち「」であると思っています。

厳しい言い方ですが、ぼっちになってしまう人間には大なり小なり問題があります。

ぼっちの僕が言うのだから間違いないです。

しかし言わせてもらいましょう。「だからどうした?」と。

僕らは皆問題を抱え、独りであるという状態になっています。

それだけなのです。

僕はぼっちであるということを変えるつもりはありませんし、多分変えられません。

自分の人生を歩んでいった結果がぼっちならば、それを堂々を受け入れ、胸を張る。

それがぼっちである人間のあるべき姿であり、義務なんじゃないかと思います。

最後に

この記事を読んでくださっているぼっちの皆さん。

大丈夫です。もし辛くてどうしようもないときは、地球のどこかで堂々と胸を張ってぼっちになっている一人の人間を思い出してみてください。